ひとり旅 | 対談 日本庭園の魅力を伝える イトウマサトシ (「おにわさん」編集者)
 ✕ 山口誠

庭園情報メディア「おにわさん」は、イトウマサトシさんが個人的に自身の足で巡った日本全国の庭園や公園、名勝地を紹介する非営利のウェブサイトです。現在までに約 1700 か所の庭園を巡るイトウさんに日本庭園の魅力とその伝え方についてお話を伺いました。

聞き手・構成|圓谷真唯
撮影|柳原美咲

それぞれの違いや個性を伝える

『おにわさん』を立ち上げた経緯を教えていただけますか?

イトウ  10 年前ぐらいに日本庭園に興味をもちはじめて、ネットで情報を探すようになりました。でも、当時は日本庭園の情報がネット上にほとんどなくて。

そんななか、まずは Wikipedia の国指定名勝の一覧ページに辿り着きました。そこには国の文化財に指定されている約 200の庭園が掲載されていたので、まずはその庭園巡りからはじまり、そこからさらに旅先で探すようになったのですが、国の文化財ではない市町村レベルの庭園になると各自治体の文化財情報・観光情報サイトをバラバラと見るしかなく、欲しい情報に辿り着くのが難しい。書籍では、京都の庭園を中心に有名なものが重複するといった状況でした。

例えば今回、山口さんと写真家の公文健太郎さんも行かれた徳島県にある 本楽寺 は比較的新しい庭園なので、文化財でもなければ雑誌の庭園特集に登場するほど有名でもない。そんな特集もそう滅多にありません。どんなによくても、存在を知る機会がなかなかないんですよ。そこで、単純に「自分が調べて足を運んだ庭園をまとめたら、ほかの庭園に興味を持っている人も使いやすいのでは」と思ってつくったのが『おにわさん』です。

『おにわさん』は 2016 年 11 月にスタートして 5 年が経ちました。まだウェブサイトに掲載していないところも含めて、これまで 1700 か所は巡っています(2022 年1月現在)。春らしい気候になる 3 月半ばからはほぼ毎週末、庭園へ足を運びます。何度も訪れているのは、東京だと 浜離宮恩賜庭園 、2年半前に京都に引っ越してからは 無鄰菴(むりんあん) でしょうか。西日本に引っ越したことで中国・山陰地方に行きやすくなったし、まだこんな場所があるんだという発見が増えましたね。

山口  イトウさんの目的は、特定のテーマに沿って説明するというよりも未だに知られていないものも有名なものも、等価に紹介することですよね。1700 か所も自発的にまわるモチベーションはどういうものなのかとても興味があります。

イトウ  モチベーションはいまのところ尽きないんです。調べれば調べるほど日本全国にまだ知らない庭園がたくさんあるので。これまで行った 1700 か所の日本庭園それぞれが違うと思えるし、以前足を運んだ場所も時間を経てもう一度行くと見え方が変わっていたり、まだまだ新鮮な出会いや発見があったりします。

地域ごとにそれぞれの風景があるという前提で、庭園はその風景に対する空気感をも取り込んでいます。例えば庭の池のみに注目すれば似たような場所もありますが、その場所に至るまでのまちの風景や借景、建物との組み合せや細かいデザインなど、全体で見るとやっぱりどれも違う。トータルで新しい発見がまだまだあるので新鮮な気持ちで見続けていられるのかもしれません。

あと、国内の日本庭園の数は、恐らくまだ誰も定義していないんです。個人邸を挙げるとキリがないというのはありますが。いったい何か所あるのかというところまで辿り着きたい、というのもモチベーションのひとつになっています。

それだけの数の庭園に足を運ばれているなかで、イトウさんが自ずと意識しているポイントがあると思うのですが、どのような点に着目しているのでしょうか?

イトウ  まずは最初にそこに立って感動するかどうかのフィーリングの部分、そのあとで歴史やできた時期を確認することが多いです。例えば、時代によって運べる石の大きさに差があります。室町時代以前はそんなに大きな石を運ぶことができないし、時代の発展とともに大きなものも運べるようになるので、その認識合わせのために時代を確認します。

ただ正直なところ僕は造園家ではないので、その場で意識して樹木や石などの素材といった細部を見ているわけではないんですよね。それぞれの違いや個性を伝えるためのメディアとして、写真を撮ったり情報を掲載したりしています。

日本庭園との出会い

もともとお庭が好きだったということですが、日本庭園を好きになったきっかけはありますか?

イトウ  いちばん最初のきっかけは、修学旅行で行った 岡山の後楽園 ですね。出身地は静岡県浜松市なのですが、基本的には工業都市で古文化的なものからやや疎遠なんです。浜松城にも日本庭園があって、いまとなっては昭和の有名な作庭家による設計だとわかっているけれど、歴史の授業で習うような江戸時代のものではない。そういう環境のなかで育って、修学旅行でこんなにも広く整った歴史的空間というものが存在するってことにすごく感動して、庭園っていいなと思ったのが最初です。

20代に静岡から上京して住んだのが吉祥寺なんですが、井の頭公園 が本当に好きでした。中央に池があって自然に囲まれていて、橋の上に立つと一棟だけ大きなマンションが見えるんですが、それが自分にとっての庭園的な原風景のひとつになっています。

また、20代半ば頃に汐留に通勤していて、そこからは 浜離宮恩賜庭園 が見えました。「日本庭園から現代の建築が見えるのは無粋だ」とよく言われますが、自分自身が現代的なビルのなかにいたのであまりそういうことは感じません。逆に、ビルから見下ろすあの風景というのは当然 200 年前にはない視点で、それも現代の庭園の楽しみ方の一つなのかもしれないと思います。

山口  周囲にどのような建物が建っているかによって日本庭園の見え方が変わるので、そのお話は僕にとって興味深いところです。小石川後楽園 や 浜離宮恩賜庭園 の場合、借景としての現代建築はポジティブに捉えられますが、栗林公園 などは周りの新しい建物が見えない方がいいという意見が圧倒的多数です。庭園側が樹木の高さを伸ばすことによって見せまいとしていても、どんどん周囲の開発は進んでいく。イトウさんは案外その状況をポジティブに捉えていることに驚きました。反対なのではないかなと思っていたので。

イトウ  例えば、京都の 渉成園(しょうせいえん) はマンションによってかつて見えたであろう東山が隠された状態になっています。それはやはり残念ですが、庭園の価値を感じなくなり、そのような状況に変化していったのはほかでもないわたしたち自身だとも思っているので「それはそれで仕方ない」という気持ちに近いですね。

ビルに慣れている東京だと受け入れやすいのかもしれないし、庭園から見える建物によるところもありますね。自分は『東京タワー』や『東京スカイツリー』が見えるとうれしく感じるし、大阪・天王寺公園内にある 慶沢園(けいたくえん) から見える超高層ビルの『あべのハルカス』もその土地ならではの印象を受けるので、ランドマーク的な建物が見えるのは好きです。

そこまでのランドマークじゃなくても背景に見えるまち並みから「そのまちらしさ」を感じるので、「あれが見えなければいいのに」と感じる場面はそんなにありませんが、一方で高木で見せたくないものを見せないようにする職人さんの努力と工夫を感じることもままあります。

山口  公文さんが撮影した 浜離宮恩賜庭園 の写真を見てみると、新しい建物側の看板や何のビルなのか、といった情報が、その建物から見て取れない場合、新たな風景として現代の建物をポジティブに受け入れられるのではないかと思えます。あべのハルカスが抽象的なビルであるのに対して、マンションという建築物は機能やなかの生活が見えてしまう。どういう使われ方する建物なのかという情報が見えない場合に、ある種「風景」として成立するのかもしれません。

イトウ  なるほど。庭園って本当に見る人によって考え方、感じ方が異なるのがおもしろいところですね。現代的なものが入り込むことに対して否定的・肯定的、どちらの意見もあって然るべきで、僕はどちらでもいいんです。必要なのはそういう意見がどんどん発信されるようになることで、そうならないと庭園側の気持ちが外の人に届くことなんてない。

書籍はやはり届く人の数が限られるので影響力も限られるし、対話が深まらないというか、いまの時代はそのスピードでは広がっていかない。さまざまな人が庭園についてネット上で発信することで盛り上がって、足を運ぶ人が増え、理解が深まり、地方のマニアックな庭園にも興味を示すようになる、というグルーヴが生み出される。『おにわさん』がそのきっかけの一つになったらいいなと思います。

『おにわさん』には「庭で学んだ礼は、礼で返す」と書かれていますが、イトウさんのスタンスを表した言葉なのでしょうか?

イトウ  「庭で学んだ礼は、礼で返す」という言葉は、庭園というコンテンツを消費せずに伝え、文化が残るきっかけになったらいいなという想いからです。例えば掲載数も多くなったので、見てくださる方のニーズに応えるためにざっくりとしたオススメを設けてはいますが、なるべく評価はしたくないんです。基本的には全部いいと言いたいし、全部足を運んでもらいたい。

いまは日本庭園を潰してマンションを建てる時代なので、「あそこの庭園はたいしたことない」なんて専門家や庭園ファンが言っていたら簡単になくなってしまう。この活動をはじめる前の話なのですが、岡山市には日本三名園の岡山後楽園のほかにも『東湖園』という藩主ゆかりの江戸時代の庭園があったのですが、2013 年に閉園して解体されマンションになってしまいました。

日本三名園として歴史や価値を体感しているはずの自治体でさえ、古庭園がマンションに建ち替わってしまうことが衝撃だったのと同時に、そういう時代なのだと痛感しました。やはりよい文化は残していきたい、残ってほしいので、名前も価値も伝わらずになくなる前にその存在を伝えたいと思っています。

 

記憶に残る日本庭園

ウェブメディアの運営者としての評価ではなく、イトウさんご自身にとって印象深い庭園というのはどのようなものなのでしょうか?

イトウ  記憶に残りやすいのは、地方や田舎の行きづらい庭園ですかね。僕の移動手段は基本的に公共交通機関とレンタサイクルなので、ダイヤの本数が少ないローカルバスの乗り換えとか、その道中の自然の風景とか、自転車で急勾配を登ったとか、フィジカルに体感したことが庭園とセットで印象に残りやすいです。

例えば、新潟県柏崎市にある 貞観園 という庭園は冒頭でお話しした国の文化財の庭園の一つなのですが、やはり当時は全然情報がなくて。実際かなりアクセスしづらい場所にあるのですが、何の先入観もなく訪れたらそこに「日本一」と言っても差し支えない美しい庭園があって本当に驚きました。本当によい庭園というのは説明がいらないものだと思うのですが、そんな場所です。

庭園に対して、何が良いのかとか、テクニック的な要素は色々あるとは思うんですが、本当に良い庭園というのは説明がいらないものだと思っていて、そこはそんな場所です。

山口  貞観園 は僕にとっても衝撃的でしたね。庭園の内部だけでなく、一般道路を上がっていく途中からただならぬものが見えるんですよ。塀の上に松が載っている有様はまるで異世界というか、山村のなかに突如、美しい世界が現れる。庭園も見たことがないほど綺麗な苔があって、とても手間がかかっていることがわかる。外から見ても衝撃、なかに入るとさらに衝撃という、シークエンスがすごいですよね。庭園って外側と内側とで世界を切り替えていることが多いですけど、貞観園はきちっと仕切りがあるうえで外側にも様相が染み出して、それが異彩を放った風景をつくり出しているんですよね。

イトウ  アクセスが悪く情報がなければ、世のなかから埋もれてしまうんですよね。誰かがレコメンドすることによって広がりが生まれると思ってるので、山口さんにそうやって言っていただけてうれしいです。

最近で思い出深いのは、鳥取県の若桜町にある『西方寺庭園』が好きでした。一見普通の池泉庭園かもしれませんが、このまちには山からの清流が水路として張り巡らされていて、人々の生活に欠かせないその水が庭園に流れ込み、またまちへと流れていくんです。自分はそういうものが好きですね。

このまちにこの庭園がある、ということが僕にとってすごく重要な文脈です。地域による石や樹木の違いに魅力を感じる方もいると思いますが、自分は人の営みの積み重ねのようなものを水に感じ取っているのかもしれません。

山口  日本庭園そのものを独立して捉えるのではなく、その地域の文脈として見ることで受ける印象は確かに全然違いますよね。福岡県にある 立花氏庭園 は確かに、周囲に柳川が巡っていることによる印象が大きく残っています。

 

被写体としての日本庭園

「借景―隣り合うマチエール」は庭園を考える切り口のひとつとして投げかけているものなのですが、イトウさんはどのように感じられましたか?

イトウ  借景というひとつのテーマを切り取ったことがおもしろいなと思いました。あと山口さんの話で確かにそうだなと思ったのは、田んぼと整理された松の取り合わせ、石の色の違いといった「ギャップ」というのは庭園を楽しむ視点の一つです ね。庭園というのはあくまで人工的な作品であって、その要素として「組み合わせ」は重要で、山口さんがそれを「隣り合うマチエール」と言語化されたことで、なるほどそういう伝え方があるのかと思いました。

そして展覧会のための告知のウェブサイトではなく、展覧会を含めたプロジェクトとしてウェブメディアを立ち上げたというのが珍しい事例だと思いました。どうしてウェブサイトという形式にしたんですか?

山口  僕の場合、まず捉えどころがないと思われがちな日本庭園への見方を探っているなかで発見したのが「隣り合うマチエール」でした。その切り口を見せることができるメディアが写真であり、この見方をきっかけに日本庭園に興味をもってもらうためにはウェブサイトのかたちがいいのではないかと思ったんです。

日本庭園の見方として、「隣り合うマチエール」を仮説としてでも立てることができたら、ぼんやりしている日本庭園に興味を抱き、日本文化への理解が深まるのではないかと思いました。

イトウ  なるほど。自分の場合、庭園そのものを撮ろうとするとやっぱりどうしても引きで撮るかたちになるんですが、公文さんの写真は『東山慈照寺』の向月台や小石川後楽園の『東京ドーム』の収め方がおもしろいですよね。
修学院離宮』の雨樋(あまどい)なんか特に切り取り方がおもしろいし、自分はこういう視点では見ていなかったなと写真を見ると感じます。

何より被写体としての日本庭園の面白さを感じてもらえたこと自体がうれしいですね。日本庭園ってそこそこの広さのなかにたくさんの要素があるので、さまざまなテーマで切り取ることができるでしょうし、そういう場所なのだといろいろな方に気づいてもらえたらいいなと思います。今回の展覧会がきっかけになったらいいですよね。

山口  「被写体としての日本庭園」っていい言葉ですね。日本庭園って漠然としているというか、全体としてはよくても対象がどこにあるのかわかりづらい。だから被写体として難しいと思うんです。公文さんの場合は、最初は引いて撮っていたのがどんどん寄っていって、ディテールを切り取ったことである部分が浮き彫りになった。写真はまさしく切り取るメディアであり、鑑賞者の頭のなかにはこの写真のイメージがインプットされるはずなので、現地へ行っても同じような視点で対象を見ると思うんです。それはやはり写真の力強さですよね。

つくり手としての視点で見ると、日本庭園は「見立て」だとよく言われますが、それは本質ではなく、手段にすぎないと思うんですよ。見立ては作庭における手法としてあり、日本庭園を記号論として読み解くことはできます。でも、大きなまとまったかたちの石を持ってきて「これが亀です」と見立てたところで日本庭園になるわけではないですよね。

日本近代庭園の先駆者である作庭家・小川治兵衛以降、日本庭園のつくり方が切り替わったというか、見立てがさほど意味をなさなくなったように思います。小川治兵衛の庭園を見ると、記号として庭ではなく、より自然に受け入れていいものだという気がするんです。どうすれば気持ちのいい日本庭園がつくれるのかを考えたときに見つけた手法の一つが「隣り合うマチエール」と言ってもいいかもしれません。イトウさんは日本庭園での見立てについてはどう思いますか?

イトウ  昔はおそらく、自然の風景がいまより当たり前だった一方で、アイデアの源泉がそんなになかったと思うんです。庭園の場合も、仏教や宗教画の世界があって、その後は近江八景や東海道など地域の景勝地を落とし込むお殿様が登場したりしましたが、モチーフが少なかったから、見立てという考え方が中心だったのではないでしょうか。現代は生活環境によっては自然の樹木や石そのもの、庭園の造形そのものが非日常で価値があって、見立てる必要が薄れてきているのかもしれません。

「隣り合うマチエール」のコンセプトでいえば、京都の 無鄰菴 も手前の芝生エリアと奥の苔エリア、奥の山っぽい空間と手前の小川の景など、どういう要素が隣に並んでいるかという組み合わせの妙を楽しむ方向に、明治時代以降のこの150 年で変化していると思います。そしていまも日本人の日本庭園観は変化しているでしょう。

『作庭記』『築山庭造伝』といった作庭の伝統的な書物はありますが、このグローバルな時代で「これぞ日本庭園」といった定義も変化していくと思います。その時代ごとに重要視される要素も変わってきたり。自分としては、新しいコンセプトの庭園の魅力を感じ取って伝えて、庭園の可能性が広がったり身近になったり、なんか庭園っていいな、楽しいなと一人でも多くの人に思ってもらえたらいいなと思っています。

2022年1月27日

  • イトウマサトシ

    『おにわさん』編集者。1983年、静岡県出身・京都在住。2016年より日本全国の庭園を紹介するウェブメディア『おにわさん』を制作・運営中。これまで足を運んだ庭園は1,700か所以上。『おにわさん』のインスタグラムはフォロワー数3.5万人を突破している。 https://oniwa.garden