ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)
京都 修学院離宮
1656〜1659年頃、『圓通寺』と同じく後水尾上皇が造営した、総面積545,000㎡を超える雄大な離宮です。上・中・下の3つ離宮に分かれており、その間に約80,000㎡に及ぶ水田があり、その水田を横切る松並木が3つの離宮をつないでいます。上離宮と下離宮の高低差は約40m近くあり、上離宮からすぐ眼下に見る浴龍池と遠方の山々を借景にしたドラマチックな風景が魅力です。
聞き手・構成|圓谷真唯
公文 修学院離宮はとても広くて、見応えがありましたね。でも、ここへは何回か行っているんですが、撮影はなかなか難しかったです。
山口 山の上にあって、そこから見下ろす風景が綺麗なんですよね。修学院離宮のなかに人工の池があって、その池の向こうに山々が見えるという、山の上から遠くの山々を眺める場所です。山々が借景になっているのが本来の見方ですが、今回はそうした写真を選んでいません。池と山々の借景を撮りたかったのですが、それよりは庭のなかに水田という機能的なものがそれなりの面積をとっている状態に焦点を当てようと思いました。『岡山後楽園』にも水田がありますが、普通に考えたら庭のなかに水田があるというのは不思議ですよね。
天皇が京都から離宮まで篭に乗ってやってきて、一日中庭を楽しむ場所に、水田といういわゆる身分としては低い農民のモチーフが混在している。もしかしたら田植えを見て楽しんだのかもしれませんが、手が入った松が立ち並んでいるその向こう側に水田があるというのはあってはならないように感じます。でも、それらが並んでいるのを現地で目の当たりにしました。
公文 でも、田んぼは手を入れるか入れないかで大きな差がありますよね。美しさが違う。庭の一要素として管理された田んぼがあるのは、手入れされた松と同義なような気がしますね。田んぼと言えば、『桂離宮』の外周に田んぼが隣接していて、そこには境目がありませんでした。その境目は撮れませんでしたが、衣食住の「食」の部分があって、そのすぐ隣に天皇という触れられない存在がいるというのは興味深いなと思います。
山口 天皇が水田を耕している民を見ているという構図はわかるんです。桂離宮では茶室の格子から隣の水田を見ていたんでしょうね。でも離宮という場に農民の田畑が隣り合っていたというのもやはり不思議な構図です。中国だったら明・清朝の宮殿である『紫禁城』の周りに田畑があるなんてあり得ないじゃないですか。皇帝の周りには近づけない。修学院離宮の場合は、機能性のある水田と鑑賞するための庭園が同じ敷地内に並存していることがおもしろい。
公文 正門からの導線もよかったですね。入り口の正面に立つと、山の上に続く白い砂利が敷き詰められた綺麗な道があって、両脇に植えられた松を見ながら登っていくのは気持ちよかった。まるで天国に昇っていくような感じでしたね。
山口 それは僕にはあまりわからなかったのですが、あれは田舎を再現しているんだと思ったんですよね。両サイドに松を立ち並べることで格調を出そうとしながら、まちなかにはない水田風景をつくり上げています。
公文 ストーリーがあるなと思いました。御成門があって、質感の違う扉をくぐって、休憩して、田舎の風景を楽しみながら苦労して上に登る。物語は劇的ではく、非常にまったりしている。それを優雅に楽しめた平和というか、贅沢があったんだというのがよくわかりました。
そのなかで気になったのは、地面の一二三石が敷石の数でテクスチャーがつくられていたことです。飛び石の質感の違いのなかにリズムがあるのは見ていて気持ちよかったですね。
公文 写真で見ると色の違いなどに気づくことができますが、現場だとこの飛び石はささやかすぎて見逃してしまうかもしれない。色や質感がちょっとずつ違うものを並べることで絶妙な雰囲気が生まれる。つまり「微差」があるものを並べることで立ち現れる魅力みたいなものをつくっているんです。意識しないと見落としてしまうような微差を、公文さんが写真で捉えてくれているなと思います。
カメラを通して見たからこそおもしろい風景、ということですね。
山口 この雨樋(あまどい)の写真もそうです。普通だったら縦樋に接続させるように軒の出隅のあたりで止まって下にいくのに対して、ここでは延長していて、ある種乱暴に水を下に落としているわけです。建物から離すためのものだと思うのですが、ずいぶん高いところにあるから下から見上げることになります。微差をコントロールしている扱いのものと比べると、これは大胆な操作で、唐突な感じがしたんですよ。この風景のなかでまったく「関係がない」という様相にあるのは、借景の山のあり方と同じ感覚なのかもしれないと思ったんです。もしかしたら「関係がない」ということも日本文化の特徴の一つなのかもしれないと。写真だと強調されて見えますが、青空に雨樋の線がびしっと入っていることで、唐突に新しい風景になっていると感じました。
公文 今回、残念ながら、松がコントロールされている向こう側に水田があることがわかる画づくりがうまくいかなかったんですよね。
山口 最初に冬に行ったとき、刈り取られた田に霜が降りていたので、ここに水が張られる初夏に稲がいい感じに育っている様子を想像して再訪したんですが、稲があまり育っていなかったんですよね。予想を裏切られて、想定していた構図ではうまくいきませんでした。なかなか同じ場所に立ち続けられなかったことも難しかった要因の一つですね。ガイドやほかの鑑賞者もいる環境での撮影になるので。
公文 この旅で、もし4×5(シノゴ)の大型カメラを選択していたとしたら、山口さんの指定の場所で事前に許可を取って、かっちり撮影していたと思います。だけど、もしそうしていたら、スナップショットを通して、二人が現地で再発見するような結果にはならなかったでしょうね。
2021年10月27日