ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)

東京 小石川後楽園

1629年に水戸藩の屋敷内につくられた由緒ある日本庭園は、かつては富士山を借景としており、現在はその名前を冠した遊園地と隣接しています。『東京ドーム』の抽象的な白い外観と、比類のない巨大スケール感を『小石川後楽園』における借景として捉えると、それ自体がもはやひとつの自然であり、山のように見えます。国の特別名勝に指定されています。

聞き手・構成|圓谷真唯

山口 小石川後楽園に着いて、一番最初に目に入ってくる風景が、池とその背後にある東京ドームなんですね。それを目の当たりにするとすごくかっこよくて、まさにいままでとまったく違う見方がわかった瞬間でした。国が指定する特別名勝というのは富士山などの自然風景を含めると全国に36あり、そのうち23か所が日本庭園です(2024年3月現在)。特別名勝は国宝と同等なんです。でも仏像などと異なり、庭園については国宝指定ではなく、特別名勝という言葉を用います。由緒正しい特別名勝である小石川後楽園と、現代的な、しかもスポーツのための建物である東京ドームが、絶妙なバランスで新しい風景をつくっていることにとても感動したことを覚えています。ここは外せない場所になるだろうと直感しました。

公文 当初「新しい借景を撮る」というキーワードはあったので、小石川後楽園における借景との関係はわかりやすかったというか、自分のミッションはそれしか頭にありませんでした。まず、野球場って外観よりも内側のイメージの方が強くありませんか? 僕は阪神タイガースのファンなので、東京ドームは敵地というぐらいの印象で。東京にいても後楽園駅で降りることがあまりなかったので、きちんと外側を見たことがなかったんですよ。白くふわっとした丸みが自然と一体になっていて、美しいと感じました。ただ、借景と庭との関係を撮ることが僕の使命だと思っていたので、「ドーム・池・森」という3つの並びが重要だと意識したときに、正面に立つしかなかったんですよね。

それでよしとなり、ぐるっと一周まわった頃にはもう池もドームもほとんど見えなくなったので、この借景の撮影はもうお終いという意識で歩いていました。そして、小高い丘に登って振り返ったときにふいに反射的に撮影しました。

普段のスナップショットと同じ感覚ですね。この写真に関しては、日本庭園であることがわからないので、借景との関係を撮るというミッションとしては失敗作というか、目的を果たしているものだとは思っていなかったんですよね。撮影後に山口さんに見せた写真のなかに一応入れておいた、くらいの感覚です。借景をきちんと説明するようなものを積み重ねていくプロジェクトから、徐々にそうした感覚的な撮影方法になっていきましたね。

山口さんはこの一枚のどこがいいと思ったのでしょうか?

山口 正直悩みました。最初の写真というのは、まさに僕も撮っていた場所で、東京ドームを借景として捉えようとすると画になるスポットなんですよ。この場所が一番わかりやすいと思っていたけれど、写真となったときにインパクトがいまいちだった。最初に自分が感じたような、「おお、すごい!」っていうショックがなくて。それが公文さんの写真をみたときに、「こういうことだよね」と思ったわけですよ。そもそも東京ドームだとわからない抽象的で記号的なもの、でもスケール的にはとても大きい得体の知れないものが森の向こう側にあるということが捉えられていて、さすが公文さんだなと。

このプロジェクトがおもしろいのは、写真を通してまた発見することですよね。実際に現場で同じものを見ているはずなのに、写真を見て新たな発見があり、そこからまた思考がはじまっていくのがいい。

公文 このあと、京都にあるいくつかの庭園を巡るんですが、代表的な借景とされている東山とかってもっと印象が弱いんですよ、そんなに驚かないというか。一体になっている風景だとは思いましたけどね。

山口 本来、借景はびっくりさせるためのものじゃないし、たまたまそこにあるというくらいなんですよね。逆に東京ドームのインパクトというのは、現代の借景だから成立しているんでしょうね。小石川後楽園は東京ドームとの関係性に気づかないと、池の周りに関してだけ言えば、わたしたちにとってはやや退屈でした。池の周りには木が生えているだけなので。どういうふうに捉えたらいいのか、興味を湧かせるのは難しい。

それに、かつてどのような日本庭園だったのかというのはわからないんです。日本庭園は建築と違うって、管理によって見え方が変わっていってしまう。木の高さや刈り込みの位置、育った草木をどこでカットするかはその時代ごとの庭師やオーナーの感覚によるものなので、知る手立てがないんです。だけど背後に東京ドームがあることでまったく見え方が変わるというのは、現代の借景として非常に価値があるのではないのかと思っています。

小石川後楽園は、明治時代はおそらく富士山が借景だったんですよ。いまはもう見えないけれど、東京ドームが富士山の代わりに借景になっているという変遷がおもしろいし、現代の建物が白い山として借景を引き継いでいる。

公文 それでいうと、松が点在する奥にビルが立っている写真は建物の見え方がおもしろいと思って残していたのですが、あとあと考えるととりわけよくないということがわかってきました。建築としてあまりかっこよくないという話になりましたよね。。

山口 建物がどういう建物であるか、例えばマンションなのかオフィスビルなのかというのは、だいたいは見たらわかりますよね。そういう情報が伝わってくるものは背景として認め難いものがあって。東京ドームがいいのは、何なのかがわからなくて、意図が見えない状態に近い。もちろん東京ドームにコンセプトはありますが、結果的な見え方としては、白くぼんやりした大きい山。そう見せようと思ってつくられたわけではないけれど、結果的にそうなっている。ビルの場合は、中層階と高層階で質感を変えたりだとか、人間の意図が見えてしまって借景にはならない。日本文化って素材をいかすものだから、加工されている、デザインされているビルはちょっと違うなと思うんですよね。

2021年10月27日