ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)

徳島 本楽寺

本楽寺は吉野川に面した山の岸壁に建つ真言宗寺院です。創建は平安時代(828年)で長い歴史を持っています。吉野川と阿讃山脈を借景とした石庭は近年つくられたもので、他に類をみない非常に明快な構成をもった現代的な借景庭園です。

山口
今まで撮影を行った庭園で、本楽寺はいちばん新しい庭園です。お寺自体は平安時代に創建され由緒がありますが、20年頃前にもともと建造物があった場所を整理して、新たに石庭にしたそうです。庭園は岸壁のような場所にあって、そこの谷底となる部分に吉野川が平行に流れ、川には山の裾野が連続しています。

通常であれば谷地によって、庭園と借景を隔絶するところを、谷だけではなくて、そこに流れる川を用いて隔絶状態を可視化し、川と山を一体的に借景にしています。このような状況を、僕は他でみたことがありません。

川は谷地の上空と同様に隔絶した空白をつくりますが、その空白は川という見えるものでもある、というのは非常に新鮮な構成です。平行に並んでいる白砂の庭園・川・山という、まさに隣り合うレイヤーを串刺しに見る、という明快でありつつ、3つの要素のどれもが欠けてはならない関係性を保っています。その関係は、借景が見えなくなっても庭園として成立する伝統的な借景庭園には実はないもので、この本楽寺の庭園を知ったときは衝撃的でした。これは現代の借景庭園といえると思います。

ここは視点場が固定されているようですが、他の発見はありましたか。

山口
メインの庭園とは別に、例えば裏側に別の見せ場があり、バランスを取っているととても魅力的に感じる、ということを、いくつかの庭園で感じています。本楽寺もまさしくこの借景庭園の裏側が素晴らしかったです。本楽寺は仁和寺と同じ密教である真言宗ですが、禅宗寺のような抽象性がつくられている庭だと思います。

背後にも回遊式庭園があり、せりたつような岩盤でできている裏山を岩肌を見せながら苔と合わせて巧みに展開させています。木々と苔、滝が凝縮された美しい場所でした。その裏側の庭園、表の借景庭園、さらには岸壁に建つ本堂の様子は荒々しく、場所場所によって世界観が異なるという点では仁和寺でも感じたことでした。

公文
自然な状態だけどとても手入れが行き届いた苔で庭が覆われている様はなかなかでしたよね。またこの場所自体がすべて岩盤で、裏から見ると巨大な岩盤の上に本堂が建っているのがわかります。川が石を穿つというか、その脇にお寺があるのは迫力がありましたね。台風や崖崩れで傷んだ部分を修繕しつつ庭も広げていましたし、茶室は新しいものでした。

ここまでお話を聞いてきましたが、背景と借景、明確な違いはあるのでしょうか。

山口
明確な違いというのはありません。考え方のひとつですが、借景を主役として設定して、その存在を引き立たせるように庭園を構成する。その結果として、庭園は借景を眺めるためにつくられている、というあり方が借景庭園であるという研究者もいます。
背景の場合には、庭園から見えはしますが、主役は庭園である場合ですね。でもその差は意識の差でもあり、はっきりした区別は難しいと思います。

ところが本楽寺の場合には、吉野川や後ろの阿讃山脈がなかったら、庭としての見え方がまったく変わると思います。京都には借景が見えなくなっても成立している庭園も多数ありますが、そういうもの比べてもレイヤーの関係がこれほど強く存在している庭園というものはこれまで見たことがありませんでした。

そこに借景がたまたまあるように見える、というのが日本庭園の借景の伝統的なあり方にたいして、本楽寺の借景は、この地に新たに庭を設置したことによって、明快な関係をつくりだしたということが新しさでありおもしろさだと思います。

公文
古き良きものを京都で見ることも面白いですけど、現在も庭を作るひとの意識が続いていることも面白いですよね。松の手入れから新たな庭をつくる意識まで、脈々と続いていることがすごいですよ。