ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)

京都 天龍寺

室町幕府初代将軍の足利尊氏によって開かれた禅宗である臨済宗寺院です。嵐山を借景にしている曹源池庭園は夢窓疎石の作庭です。国指定特別名勝、世界遺産に登録されています。

山口
天龍寺は世界遺産として大人気の観光スポットですね。嵐山を借景にしている曹源池庭園があり、夢窓疎石の作庭と伝えられています。 でも現地では、自分はここで何を捉えたら良いのかと、正直悩みました。大きな池の向こうに嵐山があるんですが、山が庭園と地続きで庭の連続体となっているため、まさに自然そのままで、それが借景なのか背景なのかという差がわかりづらいんですよね。

もちろん嵐山が適切な見え方になるように、手前の木々の高さを調整しているとは思いますが、あまりに自然の一部、ということです。まさしく、山と庭園が隣り合っているだけですね。嵐山というアイコンがあるから、借景として成立しているような気がしました。

公文
天龍寺は、有名とはいえ、それにしてもものすごい数の観光客がいて難しい撮影になりました。視点場にはベンチが置いてあって常に人が座っていたり、天候的にも背景に当たる部分に光が当たらない逆光状態で、写真として絵にならないと思い、違うものを探していましたね。

夕方になって、撮りたいと思っていた場所に人がいなくなった瞬間を捉えました。大方丈の脇にある小方丈の一間からです。障子の向こう側に借景があるんですが、光の具合で嵐山がシャドウ、松がハイライトになっていたことによって、歌舞伎の書き割りのように奥行きが生まれているのが美しいなと。どちらにも光が当たっていたとしたら、こうは写っていないです。

山口
池のほとりに立って、なんとなく見ていた風景から、公文さんの視点を通してフレーミングされた写真となったことによって、初めて魅力的な借景として見えたことは、僕にとって感動的な体験でしたね。 室内の障子によってフレーミングされながら、右上がりの柱の影、低い手すり、右下がりの松、池、左下りの山とジグザグに構図を躍動させながら、遠くの借景を絶妙に切り取っている。公文さん、すごい!と思った写真の1枚です。

もしかしたらこの庭園は、その広がりのまま見るのではなくて、障子で切り取られる前提でつくられているのかもしれないですよね。そうでないと風景として広すぎる空間だと感じました。それは公文さんの写真をみて思いついたことです。室内で行事を行っているときには障子を閉めておいて外を見せず、終了したらそれをバーンとあけて、フレーミングされた風景を見せる、という仕掛けです。

公文
見渡している状況から切り取っていくことによって、気付きがあるのが面白いんですよ。見方が定まっていくことは、写真と借景とで似ている部分があると思います。アングルとしては人が正座して見るくらいの高さなんですが、生活の高さに合わせて出来ているのかもしれないですよね。日本文化の暮らしは低いので、手すりが低いことも、生活の高さに合わせたものなんじゃないでしょうか。撮影はできませんでしたが、大方丈から見える切り取られた風景は、また見え方が違ったかもしれないですね。

山口
小方丈の室内で撮影している時に、同じ場所におばさまグループがいて、公文さんが撮影場所を確保するのが難しかったんです。すると公文さん、その人達に撮り方をやさしく教えてあげたんです。すると彼女達はすごく喜んで、その場からすぐに離れました。公文さん曰く、早くどいてもらいたい時のテクニックの一つだそうで、その話を聞いて本当に感心しました。

天龍寺のメインである曹源池庭園の奥に、多宝殿という祠堂へ通ずる細い通路を蛇行する様に流れる小川があります。これがとても綺麗でしたね。でも、観光客の誰も気にも留めていないのも興味深いです。曹源池を中心とした風景がざっくばらんとも言える風景であるのに対して、別の場所には高密度でミクロな世界がつくられている。他の庭園でも感じたことですが、メインとは別に、多くの場合には裏側にあるのですが、メインの庭園とバランスを取れるような、小さいけれど、非常に見ごたえがあるところを発見できることがあります。そうすると、すごく充実した経験をした気分になれるんですよね。

公文
庭園ってオープンして人が入っていても、庭師のひとたちが手入れをしているじゃないですか。それもひとつの風景としていいなと思いました。僕はどんどん松を好きになっていくし、庭師の人たちもかっこいい。秋口だったので、敷いたシートの上に葉を落としている作業をしていましたね。

山口
現在の機能的な素材であるシートと松のセットは、写真としておもしろいとは思います。でも僕の中で、隣り合うマチエールとしては、受け入れられないんですよね。このプロジェクトを通して庭の美しさを知ってもらいたいという思いがあるので、美しいかどうか、ということを判断基準にしているからです。

一方で、写真としては、ここにシートがあるからこそ、この写真は魅力的に感じられると思います。何気ない情景を印象的に変えている。それもまた、写真の力でしょうね。