ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)

京都 京都仙洞御所

仙洞御所とは上皇の住居のことで、京都仙洞御所は修学院離宮をつくった後水尾天皇が上皇になり、1630年に造営を開始したものです。庭園の原型は小堀遠州によって作庭されましたが、その後に後水尾天皇を含めた上皇によって改修が行われて現在の姿に近いものになりました。

ここにも借景を目的に行かれたのでしょうか。

山口
京都仙洞御所は借景ではなくて、もっと小さいスケールで隣り合うマチエールを見つけられのではないかと期待して行きました。でも、もしかするとここが一番、そのテーマとしては難しかったかもしれません。取りとめのない風景がずっと続いていて、庭園ではなかなか撮影できる場所がありませんでした。南池の砂浜が肥大化したような、直径10cmくらいの玉石が敷き詰められた、違和感のある海の再現はおもしろいなと思うのですが、あまり魅力をそこまで強く感じなかったですね。

公文
びっしりと敷き詰められた石は面白かったですね。小田原の殿様がその玉石を献上したという逸話が紹介されていたんですが、石が貨幣や米の代わりだったという歴史背景を考えると、それだけ庭を大切にしていたんだなと。池の横に木々が植えてある小径があるんですが、木の根本が苔で覆われて島々のようになっているのも面白かったですね。池の海のとなりに、また別の海があるような感じで。この撮影は冬の時期だったので、有名な藤棚もなければ、広葉樹の葉や花がまったくない状態でした。

山口
御常御殿の南庭は松竹梅の庭として知られていて、中央付近に松、建物正面には白梅と紅梅、その庭の背面に竹林があります。松竹梅が吉祥を表すのは中国由来の考えですが、そのままといえばそのままですね。京都御所の紫宸殿の前にはよく知られる桜と橘が1本ずつあって、その組み合わせは興味深いところです。でも仙洞御所で、白梅と紅梅を象徴的に並べているのも、一見当然のようではありますが、シンメトリーに配置するなら、同じ色の梅でも良いわけで、これも隣り合うマチエールと言えるのかもしれません。

山口
屋根の連なりを見てみると、手前の屋根は入口側なので開いた形になっていても違和感はないのですが、後ろのふたつの屋根は破風(屋根の正面の三角形部分)のディテールが微妙に異なります。同じ形に揃えてもいいところを、少しずつ変えていて、それでいて調和が生まれています。

そのとき、どうしてあえて変えるのか?と理由を考える必要がないのが日本文化の面白さだと僕は思っているんですよね。平安時代、貴族の人数は諸説ありますが500人-1000人程度しかいなかったと考えられています。貴族たちの美意識・価値観は、その少人数の中で共有されるものでした。それはさほど難しくなかったと思うんですよ。 現代でも例えば、その程度の人数であるような一つの中学校・高校のなかだけで成立している流行り、つまりは美意識というのも、ごく普通にあると思います。平安時代の美意識とは、そういう非常に少人数のなかだけで醸成された価値観であり、なにか強い根拠を求めてもそこには答えがないような気がします。重要なのは、現代の僕らがその価値観の結果を見て、魅力的だと思えているということなんですよ。

実際にこの建物を手がけた人たちの中は何を思っていたのでしょう。

山口
みんな、何かを参照し続けていたのではないでしょうか。日本は参照の文化でもあると思うんですよね。今までなかったイノベイティブな新しいものを生み出すというよりも、原型として既にあるものをより良くしていくということに対してポジティブで、それが日本らしさに繋がっています。その点については、現代日本でも、そのような開発の仕方がやはり得意であることに誇りを持っても良いと思う理由です。

日本文化の姿勢は常に良き前例を参照し続けているので、どうしてそれが良いのかという問いは保留されるどころか、問う必要がなくて、その原型に近づけようとする工夫が重なっていって、どんどん魅力的な微差が生まれ、そして時にはそれまでとは別次元に昇華されることもあると思います。

家電製品などで開発されるたびに性能が良くなり、機能が増えていく、というのは、実は日本の美意識の延長にある開発プロセスだということです。それがユーザーにとって不要だと思えるレベルで留まらず、躊躇せず、それをもっともっと極限まで行っていったら、どうなるのかを僕は見てみたいです。そこに見たことのない日本らしいイノベーションがある気がしますね。

公文
僕にとっては、良いと思うのがなぜかと考えてもわからないことですし、惹きつけられたものに対しては面白い、気持ちいい、かっこいいというようなシンプルな言葉にどこかで変換されていくんですよね。歴史背景や効果などについて事前に言葉で説明してもらって、それがどういうもので何故なのかとか理解できればもちろん嬉しいんですけど、撮影の段階に入るともう考えていませんね

公文さんは撮影前の情報として知識を得る段階と、撮影時に感覚に変換されていく段階とでどう切り替えているのでしょう。

公文
その被写体の前に立つべき理由、出会いまでの脈絡が欲しいんですよ。由来や歴史、人の話を聞くことによって、次への道筋がはっきりするんです。

そこから撮影の段階に入ると、生で実物を見ていた視点とは異なるカメラの眼には、画面から切れて見えなくなっている部分の機能や目的、コンセプトは映らず、自分の中でも無視してしまっているんです。事前情報によって自分自身も影響を受けているとは思うけど、結局はファインダーの中でしか拾い出せない。

それが時として山口さんや作り手の意図と一致する場合もあるということです。ある種暴力的ではありますが、自分が聞き入れて集積してきたものはシャットアウトし、コンセプトや目的というものを無視した状態で、最終的には身体と感覚で切り取るように撮影しているんだと思います。

山口
公文さんが自身の写真を前にして、そのとき何を考えていたのかを、自分の言葉として言えることが、公文さんにとってのコンセプトになっているんだと思います。何を感じたのかということ自体が、作品の説明になっているんですよね。

リアリスト的に情報を収集していく側面と、フィジカルで撮影する側面。このプロジェクトのスタートが画面の中に借景関係を入れ込むことから始まり、徐々に対象に寄っていった過程も関係しているのかもしれませんね。

公文
密度が高いものを探していった結果ですね。最初何を見ていいかわからなかったことが、撮影を通して見方というか視点が定まっていきました。借景と写真は相性がいいのかもしれませんね。