ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)
新潟 貞観園
江戸時代から続く、新潟にある庄屋・村山家の庭園です。背後にある山や水などの地形をいかし、自然環境と庭園が有機的に調和しています。また、豪雪地帯でありながらも霜害のない立地条件によって、スギゴケやジャゴケなど100種類以上の苔が生えており、青々と苔むした石がある苔庭として有名。国の名勝に指定されています。
聞き手・構成|川村庸子
山口 貞観園は、僕が知っているなかでもっとも美しい庭園だと思っています。初めて行ったときにあまりに大きな衝撃を受けて、実はひとりで3回も訪れているんです。
公文 実際に行ってみると、車を停めた地点から雰囲気が違うんですよね。本来は石畳の階段を真っ直ぐ上って入口に向かうのですが、今回はその横の方にある舗装された道路から上がって行ったんですね。そうすると、マルチーズの散歩をしている人とすれ違ったりするのですが、いきなりせり出した木が現れるんです。
山口 緑のトンネルを抜けると別世界。山のなかなのでもともと緑だらけですが、手が入った場所というのは外から見てもわかりますね。一般的な庭園は、内と外を分けているので敷地内の様子が見えないようになっていますが、貞観園は犬の散歩とすれ違うくらい生活と隣り合っていて、というよりも完全に接していて、外にも完成度の高い庭園の様相が滲み出ています。
山口 以前はただ綺麗だなと思っていたのですが、いまは自分で庭をつくっているのでいかに手がかけられているかがわかるようになりました。たとえば、苔って、放っておくとどんどんクローバーが生えてくるんですよ。あっという間に群生化するので、1本1本ピンセットで根っこから引っこ抜かないといけないし、落ち葉もこまめに拾わないと、その下が太陽の光に当たらずに腐って色が変わってしまう。なので、一見自然な状態に見えますが、ものすごく手間がかかっていて、入口付近で感じるただならぬ雰囲気というのは、そうしたエネルギーのようなものを感じ取っているからかもしれません。
これまで訪れたさまざまな庭園と比べていかがでしたか?
公文 いままで学んだことがぎゅっと凝縮されているような場所でした。眺めていると、近景と遠景どちらも見どころがあって、自然の山をつくりたかったのだろうなというのがわかる。庭園のなかにも山がありますが、その向こう側に本物の山があって、そんなによく見えないけれど、木々の擦れる音や虫の鳴きがすごいんです。いま自分がいるここも山のひとつなんじゃないかって思っちゃうくらい。また、身分によって玄関が三つに分かれているのですが、どれも優劣なく素晴らしいんです。感動しましたね。
山口 いい距離感のところに、山や滝、橋、茶室など目が行く場所が設定されているんですよね。公共空間に面した入口付近でなんかすごいところに来ちゃったなという感じではじまり、敷地内に入ってからもどこを見てもすごいのですが、それが不思議とお腹いっぱいにならない。手が入っているということは、意図があって人工的なもののはずだけれど、公文さんが言うように、ここはもしかしたら自然のままなのかもしれない、と錯覚しちゃうようなところがありますよね。
公文 そのぶん撮るのは難しいですけどね。写真って、やっぱり「切り取る」作業なので。どこを見てもいいから、何をどう切り取るか結構勇気がいるんですよ。このよさを伝えようとすると全部入れたくなるし、それだと誰でも撮れるものになってしまう。なので、今回は中景が多いですね。周りにあるものは切れてしまいますが、それでも近景と遠景、どちらもうっすらと感じられるようにしたいと思いました。
写真からこれまでと異なる印象を受けたのは、近景や遠景が少なく、中景を狙ったからなのですね。
山口 公文さんがいつものように受付の人と打ち解けて、いろんな話を聞いてくれたのですが、いまの状態になったのは、管理が公益財団法人貞観園保存会に変わってからだそうです。見せてもらった当時の写真と見比べると、いまと変わらないところもあるし、イメージが変わっているところもあって、以前よりも管理・保存状態がよくなっているというのは、なかなかないことだと思います。一時期はかなり森に戻ったような、自然に近い状態のときもあったようです。けれど、もう一度手入れをして、自然のスピードと人が管理できるスピードがちょうど噛み合って、いまがあるのかなと。そうした時代ごとに変化し、積み重なってきた「時間の層」のようなものが結果的に造形に表れているように思います。
公文 ヨーロッパでは地震が滅多にないので、建築が残り続けているし、古いものにちゃんと価値を見出していますよね。一方で日本は地震大国で、温暖湿潤気候のため、特に木造建築は維持をするのがとても難しい。貞観園は、江戸時代からずっと続いてきた時間の奥行きのようなものを愛でる感じがあります。
山口 日本人って、新しいもの好きなところがあるように思うんですよね。新築は常に人気だし、伊勢神宮も20年に一度建て替えますよね。でも、1615年に徳川家が大名の防衛力削減のために一国一城令を出して、一つの居城を除いてほかをすべて取り壊し、さらには新しい城を建てることを禁じました。それで、いまあるものを残していかないといけなくなり、きちんと手入れをして、古いものを残していこうという意識が育まれるようなったそうなんです。そうした価値観の変化もありながら、時間をかけてこの場所が熟成されていったように思います。
2024年5月8日