ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)
香川 本島別邸
瀬戸内海に浮かぶ本島。300人ほどが暮らす穏やかな香川県の島にある『本島別邸』には、1000坪を超える敷地のなかに明治から昭和中期に建てられた建物が点在し、建築家・山口誠が作庭家・西村直樹さんと協働して造園している雑木(ざつぼく)の庭・苔庭・笹庭という、海を借景とした三つの日本庭園があります。
聞き手・構成|川村庸子
山口 25年ほど前、直島に行く途中で見た瀬戸内海の美しさに感動して、いつかあの風景を眺めて過ごせる場所をつくりたいなと思っていました。具体的に場所を探し出したのが2019年頃で、2021年から本島別邸のプロジェクトがスタートしました。建物が廃墟のような状態だったのですが、職人や材料を輸送したり、船の発着時間に作業が影響を受けたりするなど離島であるがゆえの問題があり、着工するまでにすごく時間がかかったんです。何を残すべきか悩みつつ、瓦が剥がれて雨漏りをしていたことから屋根の修理をはじめ、作庭家・西村直樹さんに声がけをして、すぐに庭にも取りかかりました。
公文 本島別邸には、2023年の冬と夏、2024年の春に訪れました。最初に行ったときは、建物はすごく美しかったけれどまだ庭があまりできてなくて、それから少しずつ計画を変えながら進んできた印象があります。僕のなかで山口さんは完璧主義なイメージがあるのですが、行き当たりばったりとまでは言わずとも、変化しながらやっていて、それが庭をつくることなんだと思いましたね。これまで訪れた日本庭園は100年以上経っている「完成」と言っていい状態のものがほとんどですが、つくっている最中は目まぐるしく変わっていくし、やっぱり島っていう環境は自然の力がものすごく強いんだなと。
山口 これまで建物の外構として庭をつくったことはありましたが、日本庭園そのものをつくるのは初めてなので、いろいろな学びがありますね。昔の姿の再現ではなく、「かつてそこにあったかもしれない、よりよい風景」を目指しているので、建物は修復しただけなのですが、庭は荒れ放題だったのでかなり手を入れました。草木が伸び放題だし、苔はなくなるし、庭は手入れをしないといっきに崩れてしまう。なので、ゼロに近いところから考えることになったのですが、建築と違ってとっかかりを見つけるのが難しかったですね。島にある海や山、岩や植物と連続するように、まずはこんな感じかなとやってみて、その仮説がある程度かたちになったときに公文さんに来てもらいました。
公文 僕が初めて行ったときは、笹などの植物がまだ育ってなかったし、雑木の庭はそのときは苔庭と呼ばれていましたよね。
山口 そうしたら、これでいいのかなと感じていたところを公文さんがあまり撮影しなかったんですよ。特に、苔庭はもともとあった灯籠や石などもかなり整理をしたのですが、まだ日本庭園というよりも親戚の家の庭のような感じで、全然撮ってくれなかった(笑)。
そのことがきっかけで三つの庭すべてに苔を植えることにしたんですか?
山口 そうですね。まず何を隣り合わせているのかをあらためて考えてみました。公文さんがおっしゃったように、ちょっとややこしいのですが、以前は「雑木の庭」と「苔庭」は呼び名が逆だったんです。旧苔庭は中庭のように周囲が閉じている空間のなかにさまざまな木が生えているのですが、閉じているだけに全面に張られている苔の印象が強かった。
それに比べると旧雑木の庭は、木や石が点在して雑然とした印象で、見るべきところが発見しにくい。旧雑木の庭が旧苔庭の引き立て役になってしまっているんだなと。それが公文さんの撮影にも如実に現れていて、笹庭を含めた三つの庭の関係をどう対等にするかという課題が見えました。そこで、旧雑木の庭にも苔を植えることにしたんです。
これは庭に限ったことではありませんが、空間の印象を決めているのは壁や天井よりも床だと思うんです。床にカーペットを敷くだけで、途端に雰囲気が変わりますよね。苔を植えたら、旧雑木の庭の方が苔の印象が強くなって、それぞれの特徴もはっきりしたことから名称を入れ替えることにしました。
苔で公平さが生まれ、それぞれの特徴が際立ってきたんですね。苔の種類は何を使っているのですか?
山口 これは西村さんが教えてくれたことなのですが、海の近くで塩害があることもありどれが適応するかわからないので、苔は3種類ほど混ぜて植えました。特性の異なる苔を混植することで、時間をかけて環境に合った種が定着していくそうです。旧苔庭は、四方を壁で囲まれていたから苔が生き残ったんでしょうね。公文さんに写真を撮ってもらえないようじゃ駄目だなと思ったことが、苔を植えることにつながりました。
公文 いやあ、最初に行ったときは庭というよりは別邸の写真を撮る意識でいましたね。山口さんの話を聞きながらだんだん撮るものが見えてきたのは、僕の変化もありますが、当然庭としての変化が大きかったのだなと思いました。3回目に訪れたときに、アングルが自動的に決まってくるって感じがあったんです。
例えば苔庭を撮ったときは、ファインダーを覗いていて、海の方に向かってわーっと抜けていく感じがあったんですね。向こう側に島が浮かんだ海が見えて、次に島のようなかたちの大刈込(おおかりこみ)という生垣があって、手前に松と石がある。苔が植えられたことで地面がハイライトになって、3本の松の幹と影のシルエットがはっきりして、共鳴し合っている感じがしたんですよね。地面が暗いとこうはならない。さらに、左右に建物があることで手前に縁(ふち)ができるので、ぐっと奥行きが生まれました。
公文 なので、庭ができてないから撮る気がしなかったというよりは、写真は現実を相手にしているので、でき上がっていればファインダーが自然と導かれるんだろうと思います。山口さんは撮影前に意図を説明するようなことはしないのですが、説明を受けなくても見えてくるというか、呼び名通りの世界観がそれぞれのなかにあるなと感じました。「全部ここに詰まっている」っていう感じの、ぎゅっと凝縮された世界を撮るというのは満足感がありますね。
山口 なるほど、それはうれしいですね。言わないとわからないということは、そう見えるようになっていないということですから。
公文 雑木の庭は石畳がすーっと続いていて、風の通り道にもなっていますよね。背景の壁が黒に近い焦茶色なので、写真を撮ったときに植物の背景が黒くなるから、さまざまな植物があるけれどがちゃがちゃして見えないので、まるで額縁のなかにあるように植物がきりっと美しく見えます。 それを狙ったんですか?
山口 ほかの庭は視界が広いので、ここにはなるべく壁を増やしました。壁は、杉の表面を炭化させて耐久性を高めた「焼杉」という伝統技法によるもので、瀬戸内海の島々では家の外壁によく使われてきました。最初は黒いのですが、時間が経つと色が落ちてきて焦茶色になるんですよ。黒い壁に囲まれたことで、陽が当たった植物が前に出て、いきいきとして見える場所になったと思います。
もうひとつの笹庭はどのような場所なのでしょうか?
山口 まず、道路から裏路地に入ってくると門の両側が長屋になっている長屋門があって、雑木の庭を通って母家と離れの玄関に向かうので、雑木の庭はエントランスなんですね。苔庭は海と向かい合った場所なのですが、雑木の庭は石畳の先にある引き戸を開けると、その先にある苔庭の奥にうっすらと海が見える。それに対して母家の奥座敷にある笹庭では海が見えないんです。
生垣によって視界が切られていて、その背景にはこんもりとした山がある。この写真は座っている目線から撮られたもので、立ち上がるとわかるのですが、実は山の下にはどーんと海が広がっていています。つまり、ここには不可視の海がある。三つの庭は苔が入ったことで同じ条件になり、その上で借景としての海の見え方が少しずつ違う。そういうことをやりたかったんだということが、ようやく最近腑に落ちてきました。
山口 でもそれは同時には体験できません。海が垣間見えたあとに、正面から海を眺めて、そのあとは見えないけれど感じることができる。そうやって、海の記憶が身体に残り続けながら庭を眺めることになります。
公文 海の存在は音や光、湿度を通して常に感じますね。本島別邸のある地域はとても静かで、瀬戸内海ならではの穏やかなさざ波の音以外には、鳥のさえずりが聞こえてくるくらいですから。
山口 やはり海の存在は大きいですよね。その海が異なる分量でそれぞれの庭に隣り合っている、というのがこの場所の特徴だと思います。
2024年8月8日