ふたり旅(公文健太郎 ✕ 山口誠)

京都 桂離宮

1615年から約50年かけて造営された八条宮家の別荘で、創建以来火災に遭うことなく、ほぼ完全にオリジナルの姿を留めています。八条宮家が1881年に絶えたあと1883年に宮内庁所管となり、『桂離宮』と称されるようになりました。桂離宮のイメージは、写真家・石元泰博(1921-2012)の写真によって一般的に定着しているのではないでしょうか。

聞き手・構成|圓谷真唯

山口 「隣り合うマチエール」は桂離宮にもたくさんあるんですよ。正門は、天皇のための門だからといって豪華ではなく、あまりにも素朴というか、飾り気がないですよね。ただの木の板と丸太でつくられています。日本文化における「境界」というのは、いとも簡単に乗り越えられる、壊せるものでつくられているんです。身分や階級の違う世界が隣り合っていて、それは連続しているとも言えるのですが、はっきり区分されていない。桂離宮で水田と茶室が隣り合っていることも同じ話です。そして、竹を曲げて生垣をつくるのは高い技術力を要するので、すごいエネルギーと手間がかかっています。

安全を担保するための塀ではないというのは興味深いですね。

山口 日本が平和だったんだと思います。排除するためではなく、記号的なものでしかない。それを素材という視点で見つめ直すと、境界も、素材の扱いも隣り合っている。

当時、建物をつくる人と庭園をつくる人は、職業的に分かれていたのでしょうか?

山口 分かれていたようですね。でも庭師の方が地位は高かったようです。『修学院離宮』を造営した後水尾天皇もそうですが、どのような庭園をつくるかという意識が高い。棟梁と庭師の身分の差というよりは、その場所の全体の印象を決めているのは庭だからだと想像します。

山口 この扉もあまりにも何てことがないというか、木の皮がついたままの丸太と製材された木、竹でできています。違うテクスチャーといえども、木の仲間がただ集まっているだけ。それらを隣り合わせることで特別な雰囲気をつくり出していますよね。

公文 このアングルはやっぱり撮っちゃいましたね。建物自体がかっこいいんですよ。外の道もおもしろかったですね。右は桂離宮の塀で、左は民家の塀なんですが、高さが同じなんですよ。もしかしたら民家の方が高いくらいで。それが並存している。しかも道というのは人がひとりぎりぎり通れるかどうかの幅で、すぐそこに天皇の敷地があって、同じくらいの高さの塀が隣り合っている。茶室からは、農民が田植えをしているところを直接見ることになる。なかなかありえない環境ですよね。こうしたことも発見でしたね。

山口 桂離宮にももちろん池があります。これはとても有名な風景で、生垣の先に池があって、池が直接見えないように松が植っているんです。ここでいい写真が撮れるのではないかと予想して行ってみたら、なんと冬だったので池に水がなかったんですよね。

公文 そのあと、夏に再訪しましたね。最初に行ったときと違って、自分の撮りたいものがわかってきていたので、おもしろかったですね。それまでぼんやりと見ていたのが、連なっているストーリーを想像してシャッターを切ってみたり。場所の歴史を知らなくても、そこにある何かの意図に引っ張られて、操られているような感覚がありました。風や音から想像力を得て、自分の感覚に素直に、かっこいいものを反射的に撮るということを信じた方がいいなと。

山口 桂離宮は仕掛けがいっぱいあって、密度が非常に高い。見どころがたくさんあります。公文さんと僕がそれぞれ楽しみ方をわかってきたなかでも、ありとあらゆるものの目的が見えてこないんですよ。デザインには人が感知できる目的があるのに対して、桂離宮にはわからないものばかりが密集しています。単純に素材と素材を合わせると気持ちがいい、というようなことが延々と繰り返されていて、特に目的がないように見える。多くの人が「日本庭園はわたしにはわからない」というのはその通りで、わからないことによって日本庭園はつくられている、ということなのだと思います。

山口 この写真では、左側から緑、土、敷石、土間と素材と色が連なってますよね。着物の十二単のように色と素材が組み合わさっていますが、これが一体何かと問われても、特に目的なんてないと思うんですよ。遊びと美意識が庭をつくっていて、そうした細部を発見する楽しみ方が見えてくるように思います。

意図がない美しさが魅力的ということなのですね。

山口 自然風景にはコンセプトや目的がない、ということが再現されている気がするんですよ。素材を組み合わせるとなんとなく気持ちがいいよね、というのが一定の文化人には共有されていたのではないでしょうか。ある種僕らが共感できる部分であり、発見できると楽しめる。でも、僕にとっては仕掛けが多すぎて、ちょっと疲れちゃいましたね。正門の素っ気ない入り口や竹垣はとてもよかったですが。

公文 仕掛けが連続しているので、そういうものを楽しめる人にとってはおもしろいと思います。僕にとって一番魅力的なのは竹垣でしたね。「隣り合うマチエール」がすごくわかりやすいし、曖昧さや「境界」の位置付け、自然のものでつくられていること、素材の扱い方もすべてわかった場所でした。

2021年10月27日