ふたり旅 | 対談 公文健太郎 ✕ 山口誠

 

 

借景の魅力を考えるにあたり、写真家と組んだのはなぜですか?

山口
最初は自分で写真を撮ろうと思ったんですが、そもそもカメラ選びにも1年かかってしまって…。

性格が出ますね。

ようやくカメラを買って撮り始めても、結局カメラは良くても、写真が良いとは限らない、という当たり前の現実に直面しました。そこには自分が写したいものは写っていなかったんです。そこで、公文健太郎さんに相談したんです。

公文
対象が日本建築ではなく庭園だったのはなぜですか?

山口
建物の場合は、日本建築史として、時代ごとの様式、構法などアカデミックな世界でもありとあらゆることが研究され規定されています。建築は具体的な形を持っていて、そこに全てが集約されているように見えます。
でも、そこには大変多くの情報を読み取る、あるいは解釈することもできて、あらゆる側面から行われる研究が、日本建築史の膨大かつ深淵に広がる世界をつくっています。

日本庭園ももちろん色々な研究はされていますが、僕が興味をもったことについてはきわめて主観的なものなので、研究分野としては成り立たないのです。論文では成り立たなくても、実感としては間違いなくなにかありそうだし、それは文章ではなく、写真というメディアを使うことによってわかってもらえるのではないかなと。

山口さんのお話を伺って、公文さんはどのような印象を持たれたのでしょう?

公文
庭と借景の関係について考えているということや、最初に自分で写真を撮ってみたことなどのお話を聞いて、実際に現場である浜離宮へ一緒に行ってみたのが最初ですね。

正直最初は困惑したんですよ。僕は写真を撮る立場で、依頼を受けて撮影することもあるのですが、そういった場合、依頼側の意図を説明されるじゃないですか。今回の場合だとしたら「この庭はこういう場所で、昔の人はこう考えていて、それを見て僕はこう考えているから、こう撮ってほしい」といったような説明があるはずなのに、山口さんは「面白いでしょう」くらいの感じで言ってくるので、写真でどう応えたらいいのか悩みました。

山口
単純に「すごいところを見つけたよ」ということをシェアしたいんですよ。公文さん自身が良いと思ったらラッキーで。僕には撮れないということはわかっていますし。自分が撮影したものが良くないと思ったいちばんの理由は、いちいち説明しようとしてしまっていたことでした。僕の意図するものを要素として写真の中に入れ込んだ結果、写真がとても説明的になってしまって、ガイドブック的なつまらないものが量産されていくだけでした。

美しい風景があったら立ち止まる、そういう本質的なことを写真で伝えたかったのに、僕にはできないんですよね。公文さんには場所の説明をしてみたりもしましたが、撮影になると公文さん自身がノってくれていたのがわかったので、お任せしていました。

公文
2箇所目に行った場所が、東京ドームのある小石川後楽園。プロジェクトの説明はさほどなかったとはいっても、借景と日本庭園の関係をやりたいとは聞いていたので、僕もその枠の中で面白いことをやろうと思っていました。

池や庭園の向こうに見える景色とのコントラストから、借景というテーマに沿った面白さを自分なりに解釈して、ワイドレンズでいわば説明的に撮影していました。庭園をぐるりと一周して、池がもう見えなくなったとき、いつも自分が街中でスナップする感覚で「いいな」と思って撮った写真があるのですが、これが日本庭園かどうかなんて伝わらないんです。借景といえば借景だけど、単純にスナップですよね。

今から考えると、山口さんがおそらくやりたかったことはそういうことで、僕も最終的にそういう方向性になっていったんですよね。回数を重ねるうちに、説明をするための要素を画面に入れ込むことより、単純に目の前の風景を見て「美しい」「面白い」と自分が感じとったものを撮影していく、というふうに変化していったんですね。コンセプトを写真で説明することは、山口さんがしたいことではなかったんです。

山口
後楽園は自分で3度撮影に行っているんですよ。でも、池と木とドームが入らないと借景にならないといった具合で、結局毎回同じような説明的な写真しか撮れなくて。

公文さんと後楽園や浜離宮に行ったときも、公文さんに具体的な場所、具体的な見え方を説明した上で撮っていただいたものというのは、当然僕が撮ったものと場所が被らざるを得ないですよね。でも説明をやめてから、公文さんが自由にスナップ形式で撮影された場所の方が、印象が強いんですよ。

それが2回3回となってくると、僕はもう公文さんをその場所にお連れして、きっかけとしてのお話をするだけで、あとはもう自由に撮っていただくようになりました。逆に公文さんから「この場所はどうでしょう」と言われても、正直自分にはわからないんです。写真家がその場所をどうみているのか、僕では想像できないので、待つしかない。

公文
後楽園の写真は、当初山口さんに見せないつもりで撮っていたんですよ、目的を果たした後、自分の感覚で撮影したものだったので。

プロジェクトとして、浜離宮、後楽園は、新しい借景を見つけるということしか頭になかったんですが、いわゆるオーソドックスな街並みが広がる京都へ行くようになって、自分は一体何を撮っているのか考え出した時、「隣り合うマチエール」という言葉がスッと腑に落ちたんですよね。このプロジェクトで何をやっていくのか、隣り合うマチエールの中に借景も含まれているし、自分が写真家として反応していることも含まれている。

山口さんと認識を共有できたのは、その頃でしょうか。そこから、借景に限らず色々なものが見えてくるようになりました。借景以外に「境界」というものも見えてくるようになりましたね。

山口
自分でも最初は、隣り合うマチエールという意識が借景とリンクしていたわけではなかったんです。日本庭園の周囲にビル群などの現代建築があることは好まれないことが多いのですが、それをあえて取り込むことによって新しい風景になりうるという場合もあるんです。現代建築が庭園にとっての新しい借景になっているのだとしたら、あらたな日本庭園の価値として再認識できるのではないかと思い、そういうものを公文さんに撮ってもらおうとしていました。

そこから徐々に、建物と庭の話のみならず、ディテールの部分で言えば素材の取り合いによっても隣り合うマチエールなんだとテーマが拡がってきて。日本庭園の後ろに新しい建物があることも同じようなことで、どちらも借景になり得て、隣り合うマチエールとして捉えることもできる。

そもそもこの「隣り合うマチエール」というのは、自分のデザイン作品を解説する際に用いた言葉でした。日本庭園には借景以外にも色々な要素があり、たくさんの素材の組み合わせがあります。それらを「隣り合うマチエール」として解釈することができるということに行きつきました。

公文さんはフィルムでの制作ということで、デジタルとちがって撮ってすぐに画を確認できるわけではないですよね。山口さんにお見せする写真のセレクションはどのようにされていたんでしょうか?

公文
撮影の段階では、山口さんが「こんなところいいよね」という場所を指定されてカメラを構えたとしても、写真となったときの面白さと場所の面白さは少し違うんですよね。誰が撮ってもこうならざるを得ない、というものはセレクトしていません。指示のもと撮った写真もお見せすることはできますけど、写真家の仕事として、写真として面白いものを選んでお見せしています。

撮影初期、銀閣寺の向月台は庭園撮影の定説である11-24mmというワイドレンズで説明的に撮影をしていましたが、旅先の限られた時間の中で撮影をするということで覚悟がかたまり、結果的に35mmのレンズに落ち着きました。自分が見ている面白いことというのは、形や背景の美しさ、光が漏れて出来る影の格好良さであり、感覚的に反応してスナップしたそれらの写真には隣り合うマチエールという考え方が既に自分の考えの一部にもなってきているので、山口さんの見たいものをおさえられるようになっていっています。写真から、山口さんが意味を見出してくれる場合もあります。

山口
伊勢神宮の別宮である瀧原宮の敷石は、同じような大きさの石が白と黒になっている、とはっきりとわかります。これは白い部分が神様の領域、黒い部分がそれ以外の俗的なものであるということが解釈できるんですが、この白と黒の区分は同じ大きさの石の色の違いでしかないんですよ。ただ単に石の色が変えるだけで神の領域をつくり、それを共有できるというのは日本だけで、その境界への独特な感覚も日本文化の特徴だといえます。

境界のつくりかたで面白いのが、天皇の別邸である桂離宮の生垣です。笹で出来ている生垣の向こう側は天皇や貴族が散歩している場所です。他の国で考えるとわかりやすいですが、西洋でも中国でも、境界として高い石垣や何重もの塀を建てたり、彫刻を置いたりして、誰が見ても特別なものを特別なものとして表現しますし、また物理的な障壁として機能します。その一方で、桂離宮の生垣は、ただ単純に内側と外側との区分を指し示しているだけです。簡単に乗り越えることも、破壊することもできますよね。

桂離宮の生垣が特殊なのは、この生垣は上方へ高く生えている笹を、強引に下へ向かって曲げて作られています。桂離宮のすぐ近くを流れる桂川が増水し氾濫する際に、この笹によって泥などを濾過してその侵入を防ぐ役割があるとも言われています。でも僕が注目しているのは、その機能的な側面ではなくて、生垣として折り曲げられ重なり合った笹の葉の表情と、そのすぐ背後にある、ごく普通に上へ上へと伸びている笹が隣り合っていることです。

自然や素材そのものを変質するように加工はしていなくて、色や並べ方、扱い方の区分があるだけで、やはり、笹は笹、自然は自然のままなんですよ。自然な状態のものと、扱い方を変えた自然の状態のものが隣り合っているだけなんです。

これは日本料理でも同じことで、例えば寿司。生魚を薄く切っただけの切り身を、順番に何種類も味わうなんて、隣り合うマチエールそのものですよ。しかも塩だけで食べさせたりして、とにかく素材の微差を楽しもうとするし、そして実際に、そこには豊かな違いの美味しさがある。でも、世界的にみれば、魚とくれば次は肉と、大雑把にコントラストをつくって料理を構成するほうが多勢ですよね。

マグロに至っては赤身、中トロ、大トロは全部同じ魚ですからね。でもそこに微差を見つけて、それを食べ比べる、つまり並べて楽しんでいるわけです。素材に対峙する考え方の点で、隣り合うマチエールは、庭園だけではなく、他の日本文化にも共通していることだと思っています。

公文
僕にとってもそれはすごく興味のある分野というか、これまで人や暮らしがつくる風景というものをテーマに写真作品を制作してきて。農業の中の風景っていうのは、そこにあるものを生かしていくことによって育まれていったものなんですよね。

農耕風景の心安らぐ美しさというのは日本人の知恵によって形作られていったものであって、美しい風景にしようという意味合いでつくりだされたものではないじゃないですか。それらの経験や考えというのが、この隣り合うマチエールの中でも生かされていると実感しています。繋がっているな、とだんだん楽しくなっていきました。

公文さんの写真を時系列で見ていくと変化を感じますが、その理由は何なんでしょう?

公文
実は僕の祖父は建築家なんですよ。だから、建築家というと祖父のイメージがありました。小さい頃、お寺やなんかに祖父に連れて行かれて、いちいち説明されても実際すごくつまらなかった思い出しかありません。でも、今は「こう見ればいいんだ」という見方がだんだん示されてきたと思います。単純に面白さを感じますし、そこには解説の必要性を感じませんし、逆にとても新鮮でした。写真の絵作りとして、最初はワイドレンズで引いて説明的に、そこから寄っていったわけですが、それは対象物の中に隠されたものが自分にも見えてくるようになったからですかね。隣り合うマチエールという言葉がフィットしたということもあります。

公文さんの写真を通して、山口さんが得た発見とは?

山口
最初は借景というテーマに関して公文さんとも考えを共有して、広い範囲をイメージしていたんですが、もっと色々なもの同士がつながって、隣り合うマチエールという文脈の中に入っていく感覚は発見でした。新しい場所を発見した、という発見ではなくて、ぼんやりとしていた自分の考えが写真を通して、ビジュアルとして見えてきた感覚ですね。

素材と素材だったり、場面と場面、あるいは機能同士が隣り合っている場合でも、何かすこし違うものが隣り合っているということに自分が興味を持っているのだとはっきりしました。隣り合うマチエールという視点で見たら日本庭園はおもしろいと思います。逆にその視点で見たときに、隣り合うマチエールを見出せなかったとしたら、あまり魅力的な庭園ではないのかもしれません。

公文さんの写真を通して、山口さん自身の考えがクリアになっていったと同時に、新たな発見もあったということですね。公文さんの場合はどうでしょう?

公文
山口さんが庭を通して、建築のアイデンティティが日本という文化に育てられていたものだったと気づいたと同じように、僕も取り組んでいる作品について考えるようになりましたね。

日本の暮らしでいえば、花を活けることも、靴を脱いで並べることも、自宅の庭の沓脱石も、日本の歴史の中でつくられてきた美意識だったんですよね。自分たちの感覚がそういったものに育まれてきたんだと意識することで、暮らしへの見方も変わってくるんだと思います。日本の工芸品や道具というものも、こういう目線で見つめ直したらまた新しい発見があるんじゃないかと興味が湧いてきているところです。

取材・文=圓谷真唯