ふたり旅 | 対談 仮説を積み重ねて 公文健太郎(写真家) ✕   山口誠(建築家)

2023年、東京・浅草橋に姿を現したゲーム制作会社のオフィスビル『MONOSPINAL(モノスパイナル)』。山口誠の設計によるこの建築は、外観を9層の斜壁に囲まれ、外から内側の様子をうかがい知ることはできません。セキュリティ含め、すべての設備をタブレットで一括制御。空へと向かって広がる逆勾配型の斜壁は、高架線路や雑居ビルが密集するまちにおいて、周囲からの音・光・風をコントロールし、クリエイションに集中できる環境を整える役割があります。
これまで日本庭園を巡ってきた「借景―隣り合うマチエール」。今回はMONOSPINALを題材に、日本文化的な感性をいかしながら新しい風景をつくる試みについて語り合います。

聞き手・構成|川村庸子
撮影|柳原美咲

 

 

 

情報を発しない外観

今回、MONOSPINALを撮ってみていかがでしたか?

公文  見るところがいろいろあるんですよね。同じ場所をたくさん撮ってるんですが、そのときごとに意識していることが結構違うんです。たとえば、この外壁はカメラのちょっとした左右の振りで見栄えが大きく変わるんですよね。当然、色の質感も時間によって表情が変わる。ちょっと黄色が抜けるとクールになるし、夕方はやはり少し情緒的になりますよね。プリントではその解釈に悩みました。

それだけ外界の影響が建築に現れるということですね

公文  そうなんです。下から見上げたときに全容が掴めないけれど、インパクトはある。最初はどうやって撮ろうかなと思ったんですが、実際に撮りはじめるとおもしろかったですね。

山口  建物はパネルやガラスなど複数の素材が組み合わさっていますが、公文さんの切り取り方によって、こんなにいろいろな表情があるんだなと驚きました。この建物の見方そのものだなと思います。

公文  「借景―隣り合うマチエール」をはじめる前だったら、こんな風にはならなかったでしょうね。実は最初に撮った写真はこれなんですよ。これを目にした瞬間に電線がかっこいいなと思って。本来なら建築写真において排除したくなってしまう電線がそうやって見えたので、これはもういかようにも撮れるなと思いました。

山口  浅草橋はこういう電線がごちゃっとした場所が多いんですよね。高架線路が目の前にあって、雑多なこのまち特有のイメージが象徴的に現れてるなと思います。

公文  MONOSPINALを中心に据えて撮るのではなく、風景として撮ることを試みました。そうしたら、あらためて自然のなかに直線ってないなと思ったんですよ。水平線や人間の体にも直線はないですよね。で、直線のものってなんだろうって考えると、専門的なことはわかりませんが、りんごの落下とか、おそらく重力くらいになると思うんですよ。電線は垂れ下がっていくし、建物の影には揺らぎがある。

山口  確かに、電柱も斜めになっているものが結構ありますよね。

公文  そうなんです。だから、逆に直線しかないMONOSPINALは、曲線が溢れているまちのなかでシンボルになるなと思いましたね。

山口  なるほど。一般的に「シンボル」というとランドマークのように象徴的な存在を想起しますが、今回は内側の様子がわからないから、情報は発していないという意味で静かな印象を受けますね。風景の一部に感じられるといいなと思って設計したので、それがうまくいったかもしれないなと思いました。

公文  初めて見たときは、すごいものが建ってるなと思いましたけどね(笑)。

以前『浜離宮恩賜庭園』を撮影した際に、平屋の日本庭園の背景にビルが森のようにそびえ立っている写真がありましたよね。ビル群の上部にあった看板を隠したことで説明的になりすぎず、建物に抽象性が生まれて、庭園とビルどちらも主体になる写真が生まれていました。あのときの気づきはいまの話に通じると思うのですが、「情報を発しない」というのはどれくらい意図していたのでしょうか?

山口  今回は外観としてはそれが1番重要な部分だったんです。やっぱりその場に風景が立ち現れてこないというのは、何の建物かがわかることが要因じゃないかと。通常オフィスビルは看板に会社名が書かれていることが多いですが、この建物にはそれがないので、オブジェのようで何だかわからない。つまり、意味が消失するんですよね。

それから、単調であるということも重要だなと思います。基本的には下から上まで同じことの繰り返しなんですよね。幹があって枝が分かれて、葉っぱが集まって……という自然の形態と同じ。外壁は細いアルミ板のパネルを重ねていますが、ショットブラストという工法で、表面に小さな鉄球を吹きかけて無数の凹みをつける加工をしているんです。それによって光の反射が少し鈍くなる。表面のマチエールを豊かにするための隠れた工程があって、そうした表情の多様さを発見してくれたように思います。

公文  どこを見てもグラデーションだらけなのは、そういう理由があったんですね。確かに「ああ、マンションだな」って機能に目が行っちゃうと借景としての役割を果たさない。何だかわからないというのは重要かもしれませんね。

山口  ヨーロッパの中世の街並みは同じような建物が並んでいますが、実は病院だったり、ホテルだったりして、建物の外観から機能を定義できないんですよね。それが情報処理をしてしまわず、「ひとつの風景」に見える要因じゃないかなって。もちろん雑多な東京的な風景というものもあると思いますが、落ち着くという意味では、やっぱり建物自体が沈黙するというか、なるべく情報を発しないというのが重要じゃないかなと思いますね。

 

グラデーションのある連なり

山口  今回はやっぱり高架線路があって、雑居ビルに取り囲まれているというのが条件として大きかったですね。3階だと文字通り目の前に高架線路が現れて、上下線合わせると平均1.5分おきに電車が通過するんです。

公文  JR浅草橋駅のホームからも建物が見えますもんね。

山口  『桂離宮』に行ったときに、敷地が低い笹垣で囲われていましたよね。内側はかつて天皇のいた守られるべき空間だけれど、竹林があって、笹垣があって、その隣にはもう一般道路が走っている。あのときの風景を参照して、いかに境界をつくらずに外部空間に接続するかを意識しました。境界というか、はっきりと立入禁止区域を設けるのではなく、敷地内と外側の公共空間がゆるやかにつながっているのが気持ちいいなと。なので、塀はつくらず、周りに結界のようなものを張るイメージがありました。正面玄関に近い南東の角には松と石垣を置いて、北東の角には大きな石と竹林を配置しているんです。

山口  一般道路に接続している一番外側はごつごつした石で、その内側は平らなタイルが貼ってある。なので、外側と内側がいきなり接続するのではなく、緩衝地帯のようなものを挟んで、ゆるやかに隣り合わせています。色も少しずつ異なるグレーのグラデーションにして。この建物は免震構造になっていて、大きな地震があっても建物はあまり揺れません。でも建物の周囲は揺れるので、その変移をこの平らなタイルの一番外側の部分が可動して吸収します。普通は、「ここは動きますよ」と可動範囲がわかりやすいように高さや素材を切り替えて強調するのですが、素材のなかに機能を内包しました。機能を突出させることで、これまた「情報」になってしまうと思ったんです。

山口  また、今回大きな建物を大きなモジュールでつくるのではなく、 自然物のつくられ方を模して小さなスケールを集めて大きくしていくことにも挑戦しました。外壁も特注の細いアルミ成型材を現場での手作業で張り揃えているんです。なので、床や壁、植物などそういった細部の集積が写っているとうれしくなりますね。

その考え方でいくと、丸い葉っぱの植物ではいまのようなグラデーションは成り立たないということですね。

山口  そうなんです。植物は、松や笹、ススキ、ハイビャクシンなど、細長い葉っぱのものを選びました。

公文  なるほど。素材に寄った写真は山口さんらしいなと思って撮りました。でも、僕はいろんな要素が入ってきたとしても、山口さんの考えていることがかたちになったらいいなと思っていて。結果的に引きの写真が多いのは、やっぱりまちの様子を感じられるものが好きだからだと思います。

山口  手前にススキがあって、奥に松があるというのは、僕としてはすごくうれしい写真ですね。雑草としてのススキと格式のある松は、日本庭園では一緒に並べないので。

建物を経験する

公文  日曜の朝に撮影をしたら、人がちょこちょこ歩いてたんですよね。でも、最終的にセレクトすると人は入ってない方がよかった。人がいるとストーリーが生まれるというか、主役ができてしまう。そうじゃなくて、「こういう人が暮らしてるのかな」という想像力が働くだけで十分。本来は人も含めて風景だけど、このプロジェクトにおいてはちょっと違う気がするんですよね。

山口  これまでの日本庭園の写真に関しても同じことが言えますね。何でだろう。やっぱり情報がありすぎるっていうことなのかな。「人」のイメージは強いから、異なるマチエールを隣り合わせようとするときに、ノイズになってしまうのかもしれませんね。

公文  とはいえ、『大衆ジンギスカン酒場 ラムちゃん』の存在はすごく強いですけどね(笑)。建築家には普通は嫌がられちゃう。

山口  昔だったら僕もそうだったかもしれませんが、いまはむしろ外壁がグレーで合ってるなと思いますね。

公文  壁面のラインも揃っているし、むしろ似てますよね。

山口  どちらか一方を引き立たせるためにもう片方があるわけじゃないんですよね。こうした周りにあるお店や電柱とのあいだに優劣がなくなる状態がいいなと思いますね。

MONOSPINALの設計は2018年にはじまって、「借景―隣り合うマチエール」は2019年にスタートしています。これまでの話から、ふたつのプロジェクトが影響し合いながら進んできた様子がうかがえますが、いかがですか?

山口  そうですね。全体とディティールを行ったり来たりしながらつくるわけですが、最終的にどんな風にイメージとして経験できるかっていうのは、やっぱりわからないんですよ。もちろん模型やCGなどを使って最大限想像はしますが、公文さんの写真を見ると「ああ、こういう風に見えるんだ」という発見があるんです。そうすると、今度は僕の頭のなかにも切り取られたイメージがインプットされるので、ほかの場所でやったらどうなるかなと考えたりして、ものの見方に影響を受けていることは間違いないですね。

公文  僕の場合は、基本的にロケハンが嫌いなんですよ。初めて見た瞬間以上のものはないと思っているので。もちろんある程度計算はしますが、なるべく自分がいいなと思ったときの新鮮な感覚のままカメラに収めたい。だから、このプロジェクトを通して、逆に自分の先入観をなくすレッスンをしているようなところがあると思います。たとえば、借景においては比叡山などの山の存在がよく語られますが、実際はそんなによく見えないんですよね。MONOSPINALは個性のある建物ですが、本来そこで働いたり、暮らしたりする人たちの視点から考えると、建物は脇役なんですよ。

山口  なるほど、暮らす人の視点で撮ってるんですね。

公文  ここで暮らしている人からしたら、ただ「学校に行く途中にある、あの風景がなんかいいんだよね」っていう感じがよくて、見る人間としてはそちら側の立場で語るべきだと思うんです。そのためには、こういう風に見る、見たいという願望をちょっと捨てて、新鮮な感覚を大事にやっていくのが僕のやり方かなって。

そうやって考えるようになったのは、日本庭園がコントロールできなかったからなんです。庭を完璧に撮ろうと思うと、条件が厳しくなってしまう。最初の頃は山口さんに「朝の光の方がいいんじゃないですか?」とか「これはほんとうは雪が降ってる方がいいですね」なんて言っていたのですが、自分の役割は定型のベストショットを撮ることではないなと気づきました。いまは普通に観光客が入れる時間に行って、そこに暮らしたり、訪れたりする人の視点で見ることが必要だと思っています。

山口  いやあ、おっしゃる通りですね。建築には条件やコンセプトがありますが、そんなことはそこを歩いてる人にとっては、関係ないんですよね。たとえば、高架線路に対しての応答を可視化したデザインというものもあり得ると思うんですが、その主張があまりに強いと、毎回その道を通る度に説明されているように感じてしまう。だから、建物の価値っていうのはコンセプトやその体現ではなくて、長い時間ある空間に建ち続ける建物が、そこにいる人たちにどのような経験を運んでくるかっていうことじゃないかな。

公文さんの写真は、まさに公文さんがどのように建物を経験したかという「現れ」なんですよね。だから、僕が語るとコンセプトの説明になってしまうものを、ひとつの経験として代弁してくれているなと思っています。

公文  見る側が発見するっていうのは、写真も同じですね。そのためにもこちら側はなるべくニュートラルでありたい。前情報は一旦置いておいて、いまの自分がおもしろいと思うものを撮る、というのがやっぱり大切だと思いますね。

日本文化に対する「仮説」

もともとこのプロジェクトは、日本庭園に対する興味からはじまっていますが、約4年間やってみて、日本文化に対してどのようなことを考えていますか?

山口  日本庭園を見てなんかいいなと思う、それを再現しようとするときに何が主要な構造や要素なのかということに興味があるんですよね。やっぱり建築家は、ものをつくる職業なので。ヨーロッパをはじめとする大陸の文化の多くは、ある形式における定義や法則などがはっきりしていることが多いけれど、日本文化はわかりにくい。それは、自分の作品についてなかなかうまく説明ができないというのと似ていて、そこには同じような理由があるんじゃないかなと思ったんです。

大陸では隣の国と隣接しているので、攻撃されないようにやはり塀を高くせざるを得ません。だから、異なるものを隣り合わせることができるというのは、日本的というか、島国的な感覚だと思うんですよね。そうやって、自分がいいと思う感覚とその背景を探っているところです。

公文  日本の伝統文化ってどうしても身構えてしまうところがありますが、最近思うのは、日本文化って結構寛容なんだなってことなんですよ。MONOSPINALには、日本庭園の笹垣や砂利のしつらえが息づいているし、外観は五重塔のようにも見える。洋風の家に一部屋だけ和室をつくるように、日本文化の形式を一部取り入れるんじゃなくて、日本的なものの見方や感性そのものを探ろうとする試みって、そんなに多くないんじゃないかなと思います。

山口  日本建築の場合、畳や障子といった部品のようなものはありますが、日本人が見たときに、障子が入れば和風かと言われると、ちょっと抵抗感があるじゃないですか。そういう曖昧さが日本文化を語る難しさだと思います。だから、今回はわかりやすく松と笹を使いましたが、「隣り合うマチエール」というあり方が成立するのであれば、南国の植物だっていい。いまはそうやってひとつずつ試行錯誤を続けているところです。こうした視点が日本文化的なのかは、あくまで僕の仮説ですけどね。

2023年12月27日